マサッチ@四十歳の等身大フリーランス

南アルプス市の山間部に移住。田舎で稼ぐビジネスモデルをコンセプトに日々奮闘中。


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温もりのように温かく包むものでもあり、刃物のように冷たく刺すこともある。

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私は、過去・・・。


いじめの加害者でもあり。


いじめの被害者でもあった。







いじめは、いつも何気ないところか起きていると思う。


私が学生時代のこと。小テストが早く終わり先生の机の上に答案用紙を置きに行った時、まだ解答中の同級生と目があっただけだった。


友人がそれと同時くらいに「早いね」って言われたので簡単だったと言っただけ。それから数日後に目のあった同級生は学校に来なくなった。


それからちょっとして、職員室に呼ばれ「〇〇はお前にいじめられた」と言っていると怒られた。その当時何が起きたかのかもわからず、謝りに同級生の自宅まで行かされた。


数ヶ月後、誤解だったとわかるまで居心地の悪い学校だったのは今でも覚えている。






ある時、友達と遊んでいて爪を立てたら、それから「カマキリ」と言われ始め、私の名字に似た微生物?かなんかの名前で冷やかされ、


何かあるたびに「カマキリ」と呼ばれ、その得体の知れないものに例えられ、友人たちは遊び半分だったしいじめているつもりはなかっただろう。


また、一緒に帰っている友達にも遊び半分だったのだろう蹴られたり殴られたり。彼らは冗談の悪ふざけだったのだろう。


20代になり、たまたまあった時はあの時のことなど忘れて話しかけられた時は正直良い気分はしなかった。


今も正直、その当事者とはあまり会いたいと思わない。仮に謝罪されたところで何も変わらない。


意識していないところで、単なる言葉一つでもいじめの加害者になったり、被害者となったり。


また、人を助けたり・・・もしかしたら何気ない言葉で私だって人を殺しているかもしれない。


でも、そんなことばかり気にしていたら正直、毎日ビクビクしながら生きなくてはいけなくなってしまう。








その人の性格や経験についても自分がしたことないことで否定的な意見やその言動がある病名と近かったとして言い方ひとつで簡単に人を救い、人を苦しめる。







無意識の中に起こる世界かもしれない。







このブログだって、ツイッターだって、フェイスブックだって、また私の言葉ひとつひとつだって今も誰かを助けたと思ってもそのまた誰かを苦しめているのかもしれない。


そう思うと、自分の無力さを感じながら答えを探すしかないと思った。


一番は、多くの失敗から学んでいくことなのかもしれない。そのためには人づてに聞く経験だけでなく自分もその現場を見たり、感じたりすることが必要なのかもしれない。


どんなことでも表に見えることだけでなく、その裏側をしっかりと見る必要がある。


言葉同様に差別などもそこから生まれてくるのだと思う。表として使われる言葉、その裏にある言葉の深さ。それらが理解されてくるともしかしたら、もう少し居心地の良い世界へと変わるのかと思う。







「挨拶」少しだけいつもより大きな声で言ってみると、思いがけない言葉も帰ってくる。


「最近多いのは、毎日乗っているね!」「〇〇で見かけたよ」などなど。







言葉がいつも誰かのそばで温かく存在しててほしいと思う。