マサッチ@四十歳の等身大フリーランス

南アルプス市の山間部に移住。田舎で稼ぐビジネスモデルをコンセプトに日々奮闘中。


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「居場所」の本当の意味。まちづくりMossaworksの代表として、マサッチとして。

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「居場所」ってそこに場所があれば良いものではないと最近気づかされた。


もうすぐ、NPO法人として「まちづくりMossaworks」が始動する前に。
mossa.work


私は、情緒不安定となりいろいろなことが嫌になりどうにかこうにか心のコントロールをしながら生活をしていた。


正直、主催しているサードプレイスもNPO法人も全て辞めてしまおうかと思ったくらい。


寝れない日々、食事が喉を通らない日々が続いた。親には心配をかけまいと普段、立ち寄ったりするのだが最近は理由をつけて極力行かないようにした。


そんな時、不運なことが次々と怒った。正直、「死にたい」とも思ったし、生きようなどと思うことなどなかった。


それでも、毎日いろいろなことがあり、どうにか体を動かしていたと思う。


言いたいこともブログで書いた。辛いこともいっぱい。でもそれを読んだ人からは励ましのメッセージばかりだった。


私の体調や精神状態から先月の「サードプレイス」は2回休んだ。それからいろいろと考えて、これからの自分の役割を見つけた気がした。








人の求める「居場所」とは?


「居場所」って普通は場所なんだと思うけど、この居場所には場所に「居」が横に寄り添っている。


この「居」って。腰を落ち着けるという意味があるらしい。


よく考えればこの字、いろいろなところに使われている。「居酒屋」「居間」「長居」などなど。これ全てに関係するのは「人の存在」があること。


以前、うちの理事の子がこう言った。「サードプレイスは、マサッチさんがいるからサードプレイスなんですよ」。


その時は、あまりピンとはきてなかったのだけど、必要とされる「居場所」には必ず「人の存在」それも特定の人なのかもしれない。


サードプレイスを主催してて、「俺、居なくても良いかな?」って言ったら「困る」と言われたことが度々あった。


別に会話を楽しむなら他の人が居れば良いじゃんと思ったからだ。


でも最近、多くの人がメッセージをくれて気づいたこと。自分がやるから意味がある。ということ。


これはNPOでやろうとしているプロジェクト全てに当てはまることなのかなとも思った。


だからこそ、「居場所」には必ず「特定の人」が存在することが必要だと思う。









「居場所」について振り返ってみる。


私の過去からもしも学びになるのであればと思い書いていこうと思う。これは、これからの私のテーマともなるから。


私は2回離婚している。これをふと思い返すと「居場所」ってなかったのかなと思う。子供という存在があるから「居場所」がなくてもどうにかなったのかもしれないけど、


私の周りを見渡しても「夫婦の居場所」が存在していなかったために離婚したり、家庭内別居などが起きているのかと思う。


だから、熟年離婚などで例えればよく理解できると思う。


旦那さんが退職し家にいると今まで奥さんが考えていた「居場所」のテリトリーが脅かされるだけでなく、ストレスも加わる・・・そして子供が独立しているからという子供の存在が実質ないので離婚となるのかなと思う。


それだけ大切なことなんだと思う。また、その「居場所」は一度なくなると簡単には戻らないのだと思う。私もいろいろな離婚相談を受けてきて多くの離婚する夫婦を見てきた。


はじめは、お互い好きで結婚したというところや子供が小さいからなどの理由。また、離婚は汚点とされるので社会的な背景からしないケースがあるけど、数ヶ月も持たずにほとんどが「居場所」は戻らずに離婚しなくとも別居ってところも多い。


それだけ一度壊れると修復が難しいものかと思う。それにこの居場所がなくなったことで精神疾患になる人もいる。それだけ大切なものだと思う。


これは、夫婦のケースだけどどんな場でもそうなのかと思っている。先日、訳あってやめた子供クリエイター事業のプロジェクト案件。


子供には大変申し訳ないことをしたと今では反省しているが一度私が壊してしまった居場所は元に戻ることはなかった。少女にとって私とデザインをすることが一つの「居場所」となっていたのだと思う。








私がこれからしたいこと


私は、サードプレイスはもちろんだけど、少女のことについても今後は彼女が成長し自分の意思でもしデザインの話ができるような居場所、また、他のプロジェクトから存在する居場所についても作っていきたいと思う。


サードプレイスは私だけでなく、この人がいるからで良いので作っていきたい。先日、私のサードプレイスを子育ての相談で使いたいということで、その代表の人に会いにきたお母さんがいた。


それは、その代表の人がそのお母さんにとって「居場所」なんだと思う。


だから、複合的にサードプレイスができることを目指していきたい。


また、少女のような子供たちがきやすい居場所もあって良いのかと思う。私は、すぐにとはいかなくとも自分の意思で私のところに訪れて話ができる日を実現させたいと思っている。


どんなことでもそうなんだけど、特定の人にしかできないことはいっぱいある。私よりデザインをできる人がいっぱいいる。けれどその子が必要としている人はデザインを教えてくれる人だけということではなく


そこに「ワクワク」したり、未来につながるような背中を押す存在が必要と思う。これは身内が芸術に長けていたとしても同じ。


私にしかできない、アクション、想像力などがその「特定の人」になると思うのでそこは誰もが慣れるものではないし、逆に誰もがなる場合もある。


また、個人的にも誰かにとって必要な「居場所」というなの人でありたいと思う。


人は、必ずある特定の「居場所」が必要だと感じる。


無理に自分を押し殺してまで生きることはストレスでしかない。人が居場所となるということはとても大切なことだと思う。


その人にしかできないことだから。だからこそ、私自身そんな「居場所」となれる存在であるために努力していくことにした。


少女のデザインのことにしても、サードプレイスも私自身も今まで自分が向き合ってこなかったことに反省している。


いつだってデザインの話をしたいし、いつだってそこにい続ける存在でありたい。


それが法人の代表として、またマサッチとしてのこれからの課題だと思う。