マサッチ@四十歳の等身大フリーランス

南アルプス市の山間部に移住。田舎で稼ぐビジネスモデルをコンセプトに日々奮闘中。


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「子どもの人権」って・・・知らない人、傍観者ではない人へ 

※追記させていただきます。

はじめ、「子供」という表記でこの記事を書いていたのですが、「子ども」もしくは「こども」という表記にして欲しいと言われました。


その理由は、「供」という漢字が意味する「従うこと」つまり、「子供は大人のお供をする(従属する)存在である」ということがイメージされるため、子どもの人権に配慮していない差別的な表現であるという指摘があったためです。そのため、教育現場で「子供」という表記が使用されないのは、国連の児童憲章の「子どもの人権尊重」の影響があります。

子育て支援してる団体等は敢えて子供という表記はしないとのことです。


(これからは表現についても気をつけていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。)



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「虐待」のニュースで多くの人は心を傷める。それでもうちは虐待してないとか、かわいそうとか、こんなこと二度と起きてほしくないと思ったり・・・。


でも、ある一定の期間が過ぎれば、「あーあったねあの事件」。これは虐待だけでなく、子どもを取り巻く。もっと大きく言えば生きていればこのような事件はいっぱい起きては悲しみ、一定の期間が過ぎれば過去のものとして扱われる。


私自身、その一人だったことは間違いない。


自分には関係ない。


そう、思うことはいっぱいあった。そんな自分を変え始めたのは今の環境で出会った人。不登校・ひきこもり・虐待・発達障害など様々な問題がある中で取り組む人。


それでも自分は、はじめ「蚊帳の外」の住民として勝手に自分の中で決めていた。


なぜなら私はどれにも当てはまらなかったから。だからわからないことだらけだったから。


でもそれは知ろうとしないだけで、触れることに怖かったのだと感じる。それだけ大きなことだと認識していた。


でも、いろいろな経験をしながら、いろいろなことに目を向け取り組む仲間を見ていて感じたこと。


同じ視点でなくても、自分のしたいことにこれらの問題に必ず向き合う必要があること。そこから新しいことを生み出していくこと。


それが自分にはできるんだと気づいた時。「知らない人」「傍観者」はもうやめよう。


と決めた。実は、昨日こんなことを言われた。知らないことを想像で考えたくない。


知らないことをこんな感じかなと想像して動く自分とは逆の考え。そう、知らないことを想像(知っているかのように)行動に移すと危険なことも多い。


それで感じたのは、「知らないことは、知ろう」「わからないことをそのままにはせず、調べよう」。当たり前なんだけど意外とこれってできないのが人なんだよなって思う。


それに私は、これらの仲間たちの活動はもちろんだけどもっと多くの人の「居場所」についてずっと考えている。


そこは「子どもの主体性を育む場所」それは「子どもの人権」を守る場所でもある。そしてそこに必要なのは多くの大人。親だけでなく地域の人、もちろん教育の現場、行政など様々な人。


一人の子どもの人権を守るのに多くの人の理解などがいる。そうわかった時自分の中で浮かんだのは「居場所」。


いろいろな活動を発信しながら、手伝いながらそこでそれぞれの色を重ねていけるような場所。いろいろな思いや考えからがあっていい。それを無理に統率するのではなく、それぞれがやりやすいなかで社会に溶け込むように浸透していけたら。


そんな場所を作りたいと感じた。


「子どもの人権」を守ることは、大人だけでなく人としての権利を守ること。尊重されることにつながると思うから。


もう知らないはやめる。それだけ大切なことを見つけたのだからそれをずっとずっと私の中で取り組んでいきたい。


これ、「想いをカタチに」なんだよね。


それが私の生きる道なんだと思う。